「時の行路」映画 製作・上映推進会議のブログ

このブログは、田島一さんの『時の行路』『続 時の行路』『争議生活者』(新日本出版社)原作の映画「時の行路」に関するブログです。映画「時の行路」ついに完成しました。スタッフ 企画・中西繁 音楽・池辺晋一郎 脚本・土屋保文・神山征二郎 監督・神山征二郎 今春(2020年)公開。全国で30万人動員目指して頑張りましょう!

広島の友川さんから映画「時の行路」の感想が送られてきましたので掲載します。

 

「時の行路」の感想から (シネマキャラバンVAG 友川千寿美)

 

 呉市尾道市でも上映がスタートします。呉の試写会で寄せられた感想文を紹介します。

 

  映画「時の行路」が私に突き付けてくるもの   (久保あずま)

 

 ゴミ回収業の10人程度の小さな職場で共に働く30代の男性は子どもふたりの4人家族。手取り20万円弱で暮らしている。ダブルワークをしても20万円そこそこ。子どもにはみじめな思いをさせたくないと言うが、貯金は無く生活は厳しい。30になったばかりの男性は実家に住みながら、パチンコに行ければ辛いことも忘れると働く。40代夫婦。ひとり手取り15万円。二人で30万円の給料で独身時代の借金返済しながらどうにか暮らしている。数日前にアルコール依存症の旦那は二日酔いと暑さから仕事が出来なくなり、その責任を問われ解雇された。

 

 困窮からの生きづらさや怒りは政治的な解決に目は向けられない。政治が暮らしぶりに直接影響している実感もない。ましてや憲法や法律の存在は政治以上に遠く彼方の存在となっている。今日を、今月を、生きるために働いている。仕事や暮らしぶりへの不平不満や将来への不安や矛盾を打ち消すようにヘトヘトに働く。彼らが口にする「なんにも分からない。どうにかなるんじゃないの」と。

 まるで自分が生きているのではなく、大きな時代の流れに飲み込まれ流されている。

決して泳いでいるのではない、自己責任という大きな重荷を背負わされ、大きな流れに巻き込まれ溺れているのだ。

 

 映画「時の行路」全編に描かれる組合活動や労働争議等の結末か決してハッピーエンドでもなく、主人公の生き方に共感・感動するものの、主人公のような生き方はできないという自己否定に近いネガティブな感想を持ってしまう。

 一方で家族との関係性や仲間との信頼関係抜きには、組合活動も労働争議の取り組みや、ひとりの人間としての成長、営み、あるいは集団としての高まりに深みを得ることはできないというメッセージにポジティブな感想を持つことができた。

 

 冒頭、私は共に働く同僚を「自己責任の重荷を背負って溺れている」と表現した。ここに私の弱さを見つける。対岸の火事的な視点で表現している私がいる。その姿こそが強い者はより強く、弱い者はさらに弱い状況に追い込まれる今の時代という流れを容認していることに繋がっているのだ。ロープでも何でもいい。「こっちだぞ!」とそのロープを投げ込み引っ張っているのかと、映画「時の行路」は私に突き付けてくる。